7/27(土) 読書日記 「罪と罰」

 近藤康太郎さんの「百冊で耕す」を読んでから、本の読み方が大きく変わり、完璧ではないが、ほとんど師匠が提示する通りの読み方をしている。特に三冊同時並行で読むことを取り入れたら、すごく読書が捗るようになった。一冊だけをずっと読んでいると途中で読み飽きたら読書以外のことをし始めちゃうから、とっかえひっかえできる状態を作ると必然的に読む時間が増える。一冊につき15分ずつ、順番に読んでいくのも、時間のメリハリが効いてすごくいい。無理やり15分で区切ると、次にその本を読む順番がくるのが楽しみになる。

今読んでいるのは、「罪と罰」、「何もしない」、「おひとりさまの老後」の三冊。

罪と罰」はおそらく高校生くらいの時から本棚に鎮座しており、大学生の時に一度挑戦したものの、上巻の2/3くらいの時点での栞が当時の挫折を物語っていた。この半年くらいずっと再チャレンジしたい気持ちがあって、読み始めた。挫折が怖かったから、まず100分de名著のテキスト「集中講義 ドストエフスキー 五大長編を解読する」を読んだ。100分de名著は名著を解説してくれるNHKの番組で、番組に即したテキストも安く売ってくれており、古典を読むにあたり、大変助かっている。

ドキドキしながら「罪と罰」の原本を読み始めたのだが、思いの外するすると読めていて、感動した。シンプルに面白い。昔は読めなかった本を読めるようになっていて、なんだか本を読み続けてきたことのご褒美のような気持ちになった。それから、近藤さんが「名作には空気感がある」みたいなことを言っていたが、それがすごくわかる。本が醸し出す空気感って、自然に対する畏怖みたいなものに類すると思う。なんだか圧倒される。

今、第二部あたりなのだが、ここまでで印象に残ったシーンが二つ。一つ目は、ラスコリー二コフが道端の酔っ払った少女を助けるシーン。正義感を振りかざしていたのに途中からどうでもよくなって、どうにでもなれ!みたいになり、ずっと一緒にいた警察官がその気の変わりように困惑するところ。なんか本当に笑ってしまった。でも人の気分ってそんなものだよなという感じが妙にリアル。

もう一つは、民衆が馬を殺す悪夢のシーン。私は悪夢を小さい頃からよく見ていたから、この尺の長さと説明の粒度感に共感した。

病的な状態で見る夢は、間々、以上に鮮明で、気味わるいほど現実に似通っていることがある。時によると、奇怪な光景が描き出されるが、その夢ものがたりの舞台装置や筋のはこびが、あまりにも正確で、しかもそのデテールがびっくりするほど細密で、唐突だが、芸術的に絵全体が実にみごとに調和している。

このシーンがおばあさんを殺す犯行前に挟まれるのは面白い。ところで、馬というのはすごくシンボリックな動物だなと思った。馬が出てくる映画なんかも印象深いものが多い。最近見たイエジー・スコリモフスキの「EO」なんか、強烈だった。それから、ジャジャンクーの「罪の手ざわり」でも、人が資本のために動物や自然を破壊する様をストレートに馬への体罰で表現していたことも思い出す。労働者が資本側を殺しまくるシーンで、馬を解き放っていた。

 

今日の夕飯はゴーヤをジリジリ焼いた。